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東京高等裁判所 昭和34年(う)1067号 判決

被告人 高橋松吉

主文

本件控訴を棄却する。

理由

原判決挙示の証拠によれば、原判示事実はこれを認めることができるから、原判示木名瀬剛方の火災は、被告人が原判示の如く同人方の風呂をたいたとき、被告人の過失によりその煙突から出た火の粉が右木名瀬方の便所附近の屋根に落下して発生したものといわざるを得ない。

所論は、被告人が風呂をたくについては過失がなかつた旨主張する。過失犯の骨子をなすものは罪となるべき事実を予見し得べかりしに拘らず、これを予見しなかつたことにある。この罪となるべき事実の予見の能否は、行為当時において一般通常人が認識し得べかりし事情及び行為者が認識して居つた事情等を基礎として、その基礎の上において一般人の注意を払つてよく罪となるべき事実を認識し得べかりしや否やによつて定まるものというべきである。原審における検証調書によると、原判示被告人方の居宅と木名瀬方家族の居住する家屋との間隔は、南部において約七〇糎、北部において約三〇糎であることが認められ、(原審証人相良博の供述記載によると、木名瀬方の屋根は、十年は経過していると感じられる相当古い杉皮葺で、老朽度が非常に激しく殆んど風化されている状態にあつて、火の粉がとんで来ると当然発火する危険な状態にあつたことが認められる。)又原審公廷で被告人及び弁護人が証拠とすることに同意し、適法に証拠調をなした被告人の司法警察員及び検察官(昭和三十三年九月二十二日付)に対する各供述調書によると、被告人は、右二軒の家屋が殆んど接着して建つており、かつ木名瀬方の屋根は市内の住宅地には珍らしい杉皮葺であることをいずれも知つていたことが認められる。加之右被告人の検察官に対する供述調書中には、被告人は、本件火災事故の数日前に、木名瀬方から被告人の子供に対し、被告人方の煙突から火の粉が出ているとの注意があつたことを子供から聞いていたが、風呂釜は今流行の赤巴釜であり、煙突には傘もあり、高さも高いので大丈夫だと思い、別に気にしていなかつたとの旨の供述記載があり、又原審証人木名瀬欣子の証言中には、本件火災より四、五日前被告人の煙突から燃え殻が落ちて来て庭が白くなる程であつたので、被告人に注意したら被告人は謝罪した旨の供述記載があり、同証人上野実の証言中には、被告人の煙突から火の粉が出ているので、妻をして被告人方に注意せしめたとの供述記載があるので、これらの事実を総合すると、被告人は同人の居宅と接着する隣家の屋根が杉皮葺であることを知つておりかつ被告人方の煙突から火の粉が出ることを注意されたことがあるに拘らず、被告人は何らこれに対して注意をなさなかつたことが認められる。かかる場合においては、例えば煙突の構造を考慮するとか、燃料の選択ないしはそのたき方等に留意するとか要するに火の粉の飛散によつて生ずることのあるべき火災の発生を防止するに必要な注意をなすべきは、社会生活を営む一般通常人として通常の生活を営む場合にとるべき注意義務であるというべきである。しかるに前段説示の如く風呂釜は今流行のものであるし、煙突は傘もあり高さも高いので何らの危険はないものと思い、しかも他人からの注意にも耳を藉さず、別に気にしなかつたといい乃至は被告人が原審公廷において及び検察官(昭和三十三年十月八日付供述調書)に対し述べた如くたきつけに紙、割箸、魚の空箱を用いたという如きは将に一般通常人が認識し或は当然認識し得べかりし危険発生の恐れをその不注意により認識しなかつたことに帰し、この場合こそ被告人の過失があつたものといわざるを得ない。所論は、該煙突は昭和三十二年暮に設置したものであつて、昭和三十三年四月一日までの約九十日間何の事故もなかつた。同年三月末に煙突の掃除をしたばかりであると主張するが、仮りに然りとするもこの故のみを以て被告人の過失の責任を阻却するとはいえない。又煙突の施設には何の過ちもない。直上型を丁字型に変える義務はない。釜にて火をたけば火の粉の出るのは当然である。仮りに完全燃焼装置、煤煙防止装置をしたとしても火の粉の飛散を絶対に防げるものではないと主張するが、なるほど煙突の施設には何ら損傷したところのないことは、原審検証調書により認められるところであるし、煙突を強いて丁字型に変更する義務もないであろうが、だからといつて火の粉の飛散するのはやむを得ないところであつて、被告人の責にあらずということはできない。前述の如く他人からの注意があつたのに拘らず火の粉の飛散による出火の危険の存在を認識せず、従つてこれに対し何らの措置、注意もしなかつた以上所論の事由を以て過失責任のない理由とすることはできないからである。更に所論は、明治三十二年失火ノ責任ニ関スル法律によつても重過失による失火の場合のみ責任を負えば足りるのであるから、重過失のないむしろ善良な管理者の注意さえ怠らなかつた本件被告人の如き場合にはその責任なき旨主張するが、同法律は民法第七百九条に規定する不法行為による損害賠償責任を減軽する旨の例外規定であつて、刑事責任に関する刑法第百十六条第一項の例外と見るべきものではないと共に、被告人に善良な管理者の注意義務を怠つた責任のあることは前段説明により明らかなところであるから、この点に関する論旨はその理由がない。

これを要するに、所論は、原審が証拠の価値ないしは事実の認定につき事理経験の法則に従い判断したところを非難するものであつて、すべて理由がない。

(裁判官 三宅富士郎 井波七郎 土肥原光圀)

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